明治~昭和(昭和33年告示前)の理科教育まとめ

参考文献・・・『小学校指導法 理科』梅木信一編著(玉川大学出版部)

①「学制」頒布のころ
・日本の近代学校制度は学制、明治5年(1872年)に始まった。
・小学校は明治6年(1873年)に誕生。下等小学4年と上等小学4年に分かれていた。
・下等小学では「養生法」「理学大意」、上等小学では「博物学大意」「化学大意」「生理学大意」という教科があり、明治政府は科学教育に力を入れた。
・教科書はなく、授業は文部省及び師範学校が作成した教師用学習指導書『小学教則』によって行われた。
・児童への指導は懸図(56×76㎝)によって行われ、作物の絵、名前を挙げて、身近な作物や動植物、鳥、爬虫類、魚類などの形と名称、文字などを指導した。
・これらの内容は、当時の欧米の公立小学校の内容を参考にしたものであった。
・小学校への通学率は2割程度であった。

②「教育令」期以降
・明治19年(1886年)に教育令が発布された。
・小学校は尋常小学校(4年)と尋常高等小学校(4年)になった。
・尋常小学校は義務教育とされた。
・教科書が検定となり、初めて「理科」という教科が設置された。
・尋常小学校では指導されず、高等小学校で週2時間指導された。
・明治35年(1902年)時点で、約4割の児童が理科の授業を受けた。
・約9割の児童が理科の授業を受けられるようになるのは、明治40年の義務教育6年制実施のころであった。

③大正期
・大正8年(1919年)から、尋常小学校4・5・6学年で週2時間ずつ実施された。
・教科書を中心に知識を注入する理科教育から、観察・実験を行い、児童の主体性を大切にする理科教育が提唱され始めた。
・理科の授業を低学年から実施すべきであるという声が上がった。

④国民学校期
・昭和6年(1931年)満州事変、昭和12年(1937年)日中戦争。
 戦争遂行ののために科学教育の必要性が叫ばれた。
・昭和16年(1941年)、小学校は国民学校に改められた。
・理科の指導は、第1学年から実施された。
・第1〜3学年の理科の指導書「自然の観察」は、自然に親しみ活動することを重視し、知識の注入を避けようとした。
・戦時体制の混乱や教材教具の不足等から成果を挙げることなく終戦を迎えた。

⑤昭和(昭和33年版告示/小学校昭和36年度実施前)
・昭和21年(1946年)米国教育使節団が報告書にて科学的精神の教育を力説。
・昭和21年(1946年)日本国憲法制定
・昭和22年(1947年)教育基本法制定。
・昭和22年(1947年)米国占領軍の指導の下、『学習指導要領・一般編(試案)』に続き『理科編』が作成される。
・法的拘束力はなく、指導内容の他、指導法に力点を置いていた。
・指導方針は「生活単元学習」「問題解決学習」を目指し、目標は「すべての人が合理的生活を営み、一生よい生活ができるよう・・・」とされた。
・授業時数は、第1~3学年が週2時間。第4学年が週3時間。第5~6学年は週3~4時間とされた。
・「生活単元学習」は、学問的系統性や教育的系統性に欠け、学力の低下を招いたとして批判された。